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ゆかりの有名人

福沢諭吉

福沢諭吉

誕生の地(福島1丁目1-50)ほたるまち南側西。

慶応義塾の創始者で「学問のすすめ」の著者、1万円札で馴染みの福沢諭吉は、1834年(天保5年)福島区にあった中津藩の蔵屋敷で生まれました。少年時代は豊前国(現在の大分県)中津で過ごされますが、20歳のとき大坂の蘭学塾「適塾」へ。猛勉強して塾頭となられます。 1858年(安政5年)藩命で江戸に出、蘭学塾を始められます。これが慶応義塾の起源となっています。

JR環状線福島駅前なにわ筋南へ、国道二号線を渡って玉江橋の手前を左折、しばらく歩くと左手に鳩が羽根を拡げたような形の「福沢諭吉誕生地」の碑が建っています。

福島区民センター3階の福島区図書館では郷土資料展示室を設け、福沢諭吉の関係資料をまとめて展示しています。

松下幸之助

松下幸之助

「創業の地」(現パナソニック)

1918年(大正7年)3月大阪市北区西野田大開町844番地(当時)の家で「松下電器器具製作所」を創立。2階建ての階下3室を工場に改造して、妻と義弟の3人で、扇風機の碍盤を製造する傍ら、最初の製品「改良アタッチメントプラグ」、続いて「二灯用差込プラグ」を考案、生産されました。品質がよく価格も安かったため販売も伸び、同年末には従業員も20人を数えるまでに成長いたしました。

1922年(大正11年)創業の家が手狭になり、西野田大開町896番地(当時)に新工場建設。この工場では回転式アタッチメントプラグ、二灯用クラスター(二股ソケット)、砲弾型電池式ランプ等10数種の製品を生産し、従業員も50名を越す企業に発展いたしました。

その後、1929年(昭和4年)に第4工場と改称し、金属部品製造工場となったが、社主は第1次本店・工場のあったこの地に、終生本籍を置いておられました。

1925年(大正14年)砲弾型電池式ランプの販売量が増加し、第1次本店・工場も手狭になったため、大開町4丁目28番地(当時)にランプ組立工場を建設されました。ここで初めて「ナショナル」の商標を使用した角型ランプもこの工場から生まれ、自転車用だけでなく手提げ用にもなる便利さと、外観もスマートでコンパクトな箱型だったことから需要は大幅に拡大し、大ヒット商品となりました。

松下電気器具製作所は昭和初期の不況の中でも発展を続け、1929年(昭和4年)3月に社名を「松下電器製作所」と改称、続いて4月には「綱領・信条」を制定して、経営の基本方針を明示し、5月には大開町2丁目25番地(当時)に第2次本店・工場を竣工されました。この建物は新本店、月産10万台の生産力を持つランプ工場のほか、社主の住居や店員寮等も有する本格的なものでありました。

1933年(昭和8年)業容の急速な拡大により、事業の本拠を門真に移転されましたが、その後も、この建物は営業部門や貿易部門が使用されておられましたが、1953年(昭和28年)に門真に完全移転されましたが、この土地は公園や幼稚園として今も地元の皆さんに活用されております。

                       PHPおおひらき松翁会パンフレットより